浜野安宏。知る人ぞ知る、日本の大物であります。この人がいなかったら今の日本の街や文化は違うものになっていたかもしれない。
まずは、どういう方か知ってもらいましょう。
1968年に日本にはじめて赤坂にディスコを造りブームを起こしました。サイケデリックの浜野と呼ばれ、大阪にもそのムーブメントを起こしました。
原宿竹下通りにはじめてブティックなるものを造り、各種の流行語を生む程のファッション業界での活躍。今は当たり前のメンズマガジンを最初に創刊し、流れを造る。ボディコンを流行らせたのも彼。みんながよーく知っている東急ハンズだって彼が生み出した。渋谷駅前の蔦屋が入っている大型スクリーンのビル、Qfrontだって彼の作品。渋谷原宿青山、あの界隈のストリートをおしゃれな街に造り上げてきたのは、まさに浜野安宏。時代の仕掛け人です。
海辺に素晴らしい街を、ウォーターフロントの街づくり。横浜みなとみらい、神戸のポートアイランド、福岡キャナルシティー、などなど数々の素晴らしい街をプロデュース。今は当たり前のショッピングモールだって日本で最初に造った。あそこにも、ここにも、浜野安宏の関わった街や文化がたくさんあるのです。わたしの故郷の埼玉でも、川越蔵の街がありますが、それも浜野先生。きっとあなたの街にも先生の足跡があることでしょう。
ただ都会の仕事をこなしているだけではありません。アウトドアブランドの日本での早期からの立上げ。タラスブルバやフォックスファイアなどを生み出した。アウトドアライフなる言葉を根付かせたのも浜野安宏。パタゴニアの一号店を日本に持ってきたのも先生。パタゴニアの創始者であるイボンとは深い付き合いですし、The north faceの創始者とも友達で、今でもThe north face のアドバイザーを勤めています。世界的な自然保護にも精通しているその道のエキスパートであります。
規格外のことを平気でやってのける。アメリカのカーター元大統領を高知にSP引き連れて釣りに連れてきたこともあります。誰がそんな破天荒な事できるでしょうか?そんな事ができる日本人は浜野安宏しかいないと思います。良い意味で 怪物 です。
あるときから浜野先生は釣りにのめり込み、アラスカの純粋無垢なウィルダネスで壮絶なキングサーモンとの格闘をして、それを世に知らしめました。
日本のフライフィッシング界のパイオニアであります。あの当時、アラスカでルアーと言ったら開高健。アラスカでフライと言ったら浜野安宏。
わたしはまだ、当時高校生の釣りキチ少年。少々心に傷を持ち、悶々とした、やるせない日々を送っていました。学校や家庭での嫌なことから釣りに逃げる日々。今思えば釣りがあったから踏み外さずにすんだのだと確信しています。そんなある日、高校の図書館に浜野先生の著書がおいてあり、私はその本の中にすっぽりと入り込んでしまいました。昼休みはおろか、短い休み時間にも図書館に走り、何回も何十回も貪り読んだのです。私は電流に打たれたようにキングサーモンとの死闘に魅せられ、念仏のように浜野安宏、アラスカ、キングサーモンと口走り、とうとう、私にとっては今でもくだらないと思える高校を辞めて、アラスカに行ってしまったのです。
そこで見た正真正銘の最後のフロンティア、アラスカ。これでわたしの人生観は十代でひっくり返されました。まさに浜野安宏という人に人生を変えてもらったのです。
それからの人生というもの、型にハマることができずに色々な事を経験して、時には辛く苦しい時期もありましたが、巡り巡って想いは伝わり、私の想念は30年の時を経て通じました。想いが実現したのです。この四万十川で。
どういう縁か、人の縁はつながるのでしょうか。私の生き方の原点である浜野安宏先生に、私の生き方の原点である釣りや漁を仕事に決めたこの四万十川で、ようやく私は憧れ続けた浜野安宏、その本人と会い、同じプロジェクトを一緒にしようとしている。
邂逅。 私にはその言葉しか見つかりません。
12月17日日曜日 高知県民文化ホールにて、憧れ続けた時代の巨匠と四万十川を守る為に何ができるかを語り合ってきます。遂にこの時がやってきました!
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